自己紹介のつづき

このブログに興味を持ってもらいありがとうございます。
はじめまして! 多様化する人材対応の専門家 谷口彰です。
この自己紹介では、いつが私の人生の変化点で、その時に何が起きたのか? そして今の私がある理由・・とご説明します。
私の記憶では、幼稚園・小学校低学年は口数少ない子供だったと思います。ただ外で遊ぶのは好きで、近く誠一兄ちゃんと一緒に、いつも外を走り回っていました。
小学校高学年からキャッチボールをはじめ、中学では野球部、高校ではラグビー部と6年間はグランドを走り回る日々でした。
大学では、ESS(English Speaking Soceity):英語会に入りました。
入試では英語が得意だったので、その流れで入りましたが、周囲は、英語の達人ばかりで、正直ここに来たのは失敗だったか? と思いましたが、良き先輩たちに囲まれ(退部が出来ず)ずるずると3年生になり、幹部となりました。
性格的には相変わらず口数少なく、コツコツと作業をするタイプなので、幹部には選ばれるとも思ってみなかったし、まして成りたいとも思っていませんでした。が、諸事情で番狂わせの選出となりました。
しかし、ESSは部員の人数が多く、300人以上は在籍しているので、番狂わせであっても、それなりに幹部の仕事をしなければなりません。
カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」を隠れて読んでいましたが、本の内容を理解するも、実行には移せず、本の効果を感じることはありませんでした。
卒業後、就職は自動車製造会社に入社し、アフターマーケット部門に配属されました。
性格は相変わらず「静」ですが、「コツコツ」が性格なので、コツコツと仕事をしました。
多少英語が話せたので、北米5年の海外駐在を経験しましたが、これが私の人生の最初の転機だと思います。
日本とは全く環境の違う国で、日本人以外と一緒に働く、という体験は強烈で、焦りました。何もわからないからです。どうしよう・・・と思いつつも、日々が過ぎていくので、諦めて周囲に色々と聞きまくりました。
当時28歳なので、当然部下はおらず、私の上司は米人でした(主席駐在員は居たので、もちろん相談はしましたが、日々は米人対応でした)
最初は面倒くさいという顔をしてた米人も、いつも話をするようになると、一緒にランチ(といってもいつもハンバーガーかピザですが)を食べていると、一体感を感じるようになり(感じてもらえ)仕事もスムーズに回るようになりました。
なんだ・・外人でも一緒に長くいると仲良くできて、上手く仕事もまわるぞ!というのが最初の転機です。
自分の性格は「静」と思っていましたが、米人の友人からは面白い奴、と言われ、国が違えば理解も違う。私はもう「静」でもいいんだ、そのキャラを上手く出せば仲間と仕事もプライベートでも問題ない!という小さな自信が生まれ始めていました。
その後タイ4年も経験しますが、ここではではタイ人部下が居ました。アメリカの経験で、一緒に時間を過ごせば何とかなる!発想で、仕事は対応することができました。ここでも基本「静」キャラですが、タイ人の明るいノリにつられてるく「陽」キャラで過すことができました。
帰国して相変わらず「コツコツ」でしたが、コツコツが評価され管理職に任命されました。これが人生最大のピンチとなりました。
管理職になって約半年後、あるプロジェクトの責任者を担当することになったのですが、部下14名が全員年上という・・・今でも当時を思い出すと胃がキューとなります。特に
・28歳で北米駐在時の首席駐在員が海外現地法人社長を経験後、59歳で
プロジェクトメンバーとなる(当時の大ボスです)
・同時期に駐在員の先輩で、特に私生活で多くのサポートをもらった方
・タイでの先輩駐在員
はっきり言って「これって虐めですか?」と当時の部長に質問したかったです。
(もちろんサラリーマンとして黙っていましたが・・)
本当に日々悲惨でした。先輩方(部下ですが)からは、
・このプロジェクトはどの方向に向かうのか?
・日々プロジェクトリーダー(私です)から指示がないがどうなっているのか?
と責められる日々。
先輩管理職からは「あなたが管理職だから、年上の部下でもしっかりと指示をしなければ組織として示しがつかない!」と咤激励され、それから上から目線で「私の指示を聞くように」の日々でした。
ある日、ある先輩部下(元北米主席駐在員・当時の大ボス)から呼び出され、喫茶ルームでコーヒーを飲みながら一言言われました。
「お前は部下から嫌われているぞ。なにそんなに気合いれているんだ。もっと自然体でやればいいじゃないか。無理するなよ・・」
ショックでした。一生懸命やっているのに、「嫌われている・・」という事実。
実は、このプロジェクトを担当してから、「人を動かす」「道は開ける」を再読しましたが、やはり効果なく、すがる思いで「コーチング」を学び始めていました(CTIにて)。とにかく何でもよいので、今の現状を改善するに何かしなければ、という焦りがありました。
と、同時にメンター(ビジネスコーチ)を紹介され、毎週45分のセッションを受けました。
コーチングを開始して、メンターもいるので、これで問題は解決する!とホッとしつつも、事実は全く違いました。だれも私に正解を教えてくれないのです。
あなたは先輩部下と、どういう関係性をもって、どのような結果を求めていますか?
あなたは、自分自身として、どのような管理職像をめざしていますか?
それが実現したら、どんな世界があなたをまっているでしょうか?
そんな質問いいから答えをください! 正解は何ですか? 私は今困っているのです! などを訴えても、答えはもらえません。
答えはあなたが既に持っています。それを一緒に探し当てましょう!
がっかりしつつも、」「コツコツ」と自分はどうしたいのか? どうありたいのか? という自省の日々でしたが、最終的に自分が決めたことはこれです。
① 管理職だからと言って、無理に強者となる必要はない
② 自分にできないことは他人に任せる。他人の強みを十分に活用する
③ チームメンバーから協力を得て組織運営を行う
④ チームの能力を最大限に発揮して、メンバーの幸せと組織の成果を得る
これを決めてから、実行に移しますが、すべてがうまくわけではありませんが、毎週のメンターとのセッションを通じて、自省し、翌日からの対応を決める、という日々でした。
ひとりではできないことも、二人(私の場合はメンターでしたが)いれば、道は開ける、という体験はその後に大きく役立ちました。
この14名の先輩部下と一緒のプロジェクトは無事終了し、私の人生最大のピンチは無事終了でした。
人生の最大のピンチが去ったころにメンターの紹介で、占星学を学ぶ機会がありました。
占星学=星占い:今日のラッキーカラーは緑! をなぜ学ぶのか?と。
しかし、この占星学は、星座からその人の持っている性格等を理解し、より深い人間関係を築くための知識、として位置づけられており、部下との人間関係を築くにはとても助かっています。
同時に、私自身を分析すると、「静」「コツコツ」はまさに自分の星座を表しており、その時に長年なぜこのキャラなのか? という長年の疑問がス~と溶けて、ホッとし、かつこのキャラで生きていいんだ!との自信にもつながりました。
ここでの年上部下とのマネジメントはとても大きな経験となり、どんなチームでも、どんなメンバーでも、どの国でも、対応できる、という自信は、その後のサラリーマン人生の大きな糧となっています。
自分の経験から、チームに信頼関係が構築できれば、必ずチームは成功する。
だから会社全体に信頼関係が築ければ、会社は大きく成長し
さらに、日本企業全体が強い信頼関係が結ばれれば、日本経済とGDPを大きく押し上げることも可能となります。
信頼関係=個人の幸せと日本経済の発展をつくりあげるのです(と大きな規模感をもっています!)
さらにメンターとの付き合いは今も続いていますが、なぜメンターとの関係が継続するか?というと、メンターは常に新しいことに緒戦し続けています。
新しいカテゴリーのセミナー企画・開催、本の執筆・増刷されています、常に挑戦です。
なぜそんなに挑戦ができるのか? を聞いたところ
・やりたいと思ったらやるべき。評価はお客様が決める。
ダメなら(評価をもらえないなら)別のことをすればよい。
・やるか、やらないか?を迷って時間をすごすのであれば、サクっとやれば
いい。だめなら別のことを始めればいい。
という軽い(?)ノリでの決断を次々と行っています。このように挑戦し続ける人が身近にいると、自分も挑戦したくなりますね。 メンターのプラスエネルギーをもらいながら、今いろいろと新しいことに挑戦しています。
物静かで、あまり口を利かなかった少年が、今サラリーマンをして、関連会社のコンサル会社では、人財育成セミナーを開催し、今は個人向けのプログラムを提供しています。
このキャラ変化に一番驚いているのは私です。人間は必要性が強ければ変わる!と信じています。
読者の皆さん、このブログに来られたのであれば、日々何らかの課題を持っているはずですね。
みなさんと一緒に、信頼関係の構築と日本経済・GDP向上を目指していきましょう。一人では難しくても、二人なら必ず道は開けます!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
多様化する人材対応の専門家 谷口彰より
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